北塩原村ちい旅 桧原編(北塩原村公民館)

北塩原村ちい旅 桧原編(北塩原村公民館)

地域おこし協力隊 地域おこし協力隊
北塩原村の暮らし
2017年4月26日

◎平成29年4月23日(日)快晴。風はやや冷たかったですが、絶好のちい旅日和。

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◎第1回 北塩原ちい旅のはじまりです。今回は桧原地区。総勢13名でのまち歩き。

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◎冒頭 平成29年3月27日に村指定文化財に指定された「桧原山神社の絵馬3点」の指定書と複製の伝達式が行われました。

絵馬はいずれも江戸時代のもので、金山銀山採掘でにぎわっていた桧原の歴史を今に伝え、村の歴史を物語る上で重要と評価され、村指定文化財となりました。

指定書は関係者を代表して桧原区長さんに伝達いたしました。絵柄は左右が平家物語を題材とし、中央が大江山の鬼退治を題材としたものです。

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◎桧原出張所前にある石碑の調査が始まりました。参加いただいた裏磐梯エコツーリズム協会さんからのリクエスト。桧原副区長さんによる雪を埋め込んで文字を読みやすくする発想に感心。

・明治21年磐梯山噴火に際し、皇室の御下賜金や義捐金をいただいたことや、身元不明の犠牲者3名の慰霊と記載されていました。

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◎桧原湖岸にでて歴史の解説。戦国時代に会津に侵攻してきた伊達政宗の山城、桧原(小谷山)城跡が対岸に見えました。ちょうど主郭や横堀、竪堀に雪が残り、遺構が良くわかります。国立公園内では山城も美しい・・・。

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◎桧原の浜からの眺め

 正面に桧原(小谷山)城跡、左に見える山のふもとに「桧原山神社」があります。

今年は雪が多かったとのこと。そのせいか、例年より水が多く、山神社2番目の鳥居も水没ぎみ。てっぺんだけがかろうじて水上に出ているようです。

 画面中央の湖底に、江戸時代の桧原宿が眠っています。

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◎区長さんによる解説

 「ウチは鉱山関係の仕事をしていたらしい。多くの家が宅地の移転に伴い墓地も移転したが、理由はわからないがウチの墓地は残っている」。

鉱山のこと、自分の御先祖のこと、お墓のこと。ふるさとへの誇りが伝わってきます。

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◎参加者の方からも、桧原地区周辺にねむる山城、桧原(小谷山)城跡、戸山城跡、岩山城跡の解説。岩山城跡は遺構がはっきりしないので伝説の城と思っていましたが、「空堀がをみたことがある」とのこと。確認せねば。

 桧原湖は明治21年の磐梯山噴火によりできたもの。

桧原地区の方によれば、沈んだ桧原宿の西側の家が桧原地区へ、東側の地区が金山地区へ行ったのではないか。当初見込んでいた水没の範囲が変わり、家の移転は2回行ったと聞いているとのこと。

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◎桧原の五輪塔

 戦国時代桧原を治めた穴澤氏の一族のものともいわれる五輪塔。磐梯山噴火後水没していた墓地から引き揚げられたそうです。

 五輪塔には、江戸時代の年号と戒名、「逆襲」の為つくるという目的が刻まれています。

 周辺の墓石には仏教形式のものだけではなく、神式のものも残されています。

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◎崇徳寺へ

 《Tさん》「地元での呼び名はソウトクジだ。」

寺物の馨子や双盤は元禄期のもので、山神社の絵馬とともに賑わっていた江戸時代の桧原宿の面影を今に伝えます。以前はご住職がいましたが、いまは無住。

 ここまでで午前の部は終了。

 

 

 

(犬も気になる・・・。ちい旅一行)

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◎午後の部は、区長さんと副区長さんに質問・・・。いろいろなことを教えていただきました。

 ○冬 雪が一番つもったのどれくらいですか? 

 《区長さん》覚えているのでは、大塩に行くときに、峠道で電線をまたいだことがある。

 ○いつですか?

 《副区長さん》最近では昭和55年。おれも電線をまたいだことを覚えている。1日で2m降ったこともある。それより前だと細かい年はわかんないが、今のように除雪のない頃は、降った雪と屋根から落ちた雪がたまる一方で、道路の方が雪が高いという感じだった

 《参加者さん》曽原では除雪が入ってもらえなくて、1週間閉じ込められた。

 《区長さん》桧原では雪が降っても2階から出入りした覚えはない。玄関から出入りをしている。大雪のときは玄関まで掘るのが大変。

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 ○買い物や食事は大変だったのでは?

 《区長さん》食事は保存食。漬物なんかをよくたべた。鮭の塩つけとかも。干した大根も。ゆでてから干す。

○狩猟はこの辺ではするのですか。

 《副区長さん》この辺は国有地なのでやらない。有害鳥獣駆除で鉄砲を使う程度。熊、イノシシ、シカなど。イノシシは最近金山で見たという話を聞く。

 ○ワカサギ漁が盛んですが、以前はどのような・・・。

 《副区長さん》フナ、ヤマメ、アカハラ、ウナギなどがいた。漁をしている人もいた。1m位のコイがいた。人がはなしたものだが草魚もいた。

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○夢の湯って看板がありますね。

 《区長さん》あそこじゃなかったんだけど。

《副区長さん》近くの民宿に引っ張った。桧原地区の温泉は平成9年から。結構新しい。

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○区長さんの、山での仕事とはどのような・・・?

 《区長さん》主として国有林の管理をしていた。伐採後の育林が主。その後管理。  

 境界の確認や、木の調査など。伐採は他の人の仕事。山ではよく動物にあった。少ないが熊にもあった。北山の現場で熊と鉢合わせしたことある。マムシもいた。怖いのは蜂。

 ○道路が広いですね

 《区長さん》もともと広かった。水路ももともと両側にあった。子供の頃は石をならべて水路としていた。

○桧原雪崩事件とは

 《区長さん》南の山斜面で子供がスキーをしていたら、踏み固めた雪が割れて、表層雪崩が起きたことがある。7、8名が埋まってしまったが、なんとか掘り出して助かったということがある。

 ○桧原大火

 《区長さん》湖側半分くらいは大火で燃えたことがある。ほかも建て替えた家が多く、古いものもあまり残っていない。

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○桧原と木地師

 《区長さん》木地工場があった。もともとは木地師が多くいた。山で樹を切って、輪切りにして、分けて小さくする。そこからチューナで外と内を削って椀の原型をつくっていた。それをロクロの人に持っていったり、若松に持って行った。そこまでの仕事をしていた人は村に多くいた。ロクロを回していた人は少数だった。20~30年前まではやっていた。木地師はもともとは新潟県から来たと聞いている。小椋という姓は早稲沢に多いが、桧原には少ない。

ろうそくつくりはやっていなかった。漆取りをした記憶もない。

○桧原から細野にでる道は今もありますか

《金子さん》あるけど木がひどくて歩けない。3月中旬頃は堅雪であるけるかも。

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◎会津川。あららぎ峠に発する川で、桧原湖へそそぎます。猪苗代湖を経て、日橋川から会津盆地へ。同じくあららぎ峠を通る小塩川は大塩川と合流し、会津盆地へ。磐梯山周囲を周る水の道。

《副区長さん》アカハラがいるよ。

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